恒久平和の実現に向けて(終戦の日を迎えるにあたって)

国会・国政

●原爆投下と終戦後の世界
本日、75回目の終戦の日を迎えるにあたり、改めて戦没された全ての御霊に深く追悼の誠を捧げるとともに、ご遺族の皆様に衷心より哀悼の意を表します。

 

この8月15日を迎えたことの重大性を考える時、まず数十万という民間の非戦闘員を犠牲にする非人道的な大量殺戮破壊兵器、原子爆弾が、一度のみならず、二度まで使用されたことを想起せざるを得ません。

 

原爆が実戦に使われたのはこの時が最初で最後ですが、以来、一貫して大量の核兵器が一触即発の臨戦態勢に置かれてきました。
今もその態勢が変わる兆しはありません。

 

こうした態勢が続く土台には「核抑止」という考え方があります。「もし敵の核攻撃を受けたなら、必ず核で報復し滅ぼす」と、互いに脅し合うことで初めて安全が保たれるという理論で、こうした「抑止論」は最近の「敵基地攻撃能力」の保有を推し進める理屈にもなっています。
しかし、この核抑止に基づく「恐怖の均衡」には、本質的な欠陥があります。

 

確かに、米ソ両超大国が角を付き合わせる冷戦期の単純な国際関係では、一定の有効性があったかもしれません、しかし冷戦後、特に9.11同時多発テロ後、核は容易に持てる兵器になりました。今日では、捨て身覚悟で核を国策に活用する国さえ現れるようになっています。

 

従って、大量破壊兵器を突きつけ合っている限り、それはリスクそのものであり、「恐怖の均衡」はいつ崩れないとも限らないわけです。

 

● 国民の戦争体験こそが恒久平和実現の鍵
「国民は戦争のあらゆる苦難を自分自身に背負いこむ…のを覚悟しなければならないから、こうした割りに合わない賭け事をはじめることにきわめて慎重になる」。
これはカントの言葉ですが、そうした国民の声が反映される政治体制こそが、恒久平和に相応しいとも述べています。
国民の戦争体験こそが恒久平和実現の鍵であるならば、我々には責任があるのだろうと考えます。

 

今日の我が国の繁栄は、祖国の安泰とご家族友人の幸せを願いながら、各地での熾烈を極めた戦いにおいてかけがえのない尊い命を捧げられた、英霊の皆さま方の犠牲の上に成り立っています。

 

我々が戦後75年間、曲がりなりにも平和の中で暮らせたのは、あの過酷な時代をくぐり抜けた人びとが身近にいたり、当時を物語る遺構等があったからに他なりません。
その存在があればこそ、戦争は遠い史実ではなく共通の体験として「戦後」に受け継いで来れたのです。

 

しかし、広島に原爆が投下されてから75年が経ち、被爆者の方々の平均年齢も83歳を超え、被爆体験を語る者がいなくなる時代が目前に迫っています。
また、「物言わぬ証言者」として、戦禍を次世代へと伝える遺構や戦争遺跡の老朽化も進み、今、保存に取り組まなければ消失してしまう運命にあります。
こういった意味でも、今年の終戦記念日には特別の意味があります。

 

我々には「過去を受け継ぎ、未来へ引き渡す責任」があります。
新型コロナの影響で、戦争体験者から直接聞き取る機会が奪われたり、原爆資料館などの施設への来場者が激減するなど、更なる困難な状況に直面していますが、今こそ、その責任に真剣に向き合わねばなりません。

 

他方、この75年間、日本は幸いにも平和を享受することができましたが、世界では幾多の戦争が繰り返されて来ました。
戦禍は過去のものではなく、現在も多くの悲劇を生み続けているのです。

 

我々は、地球市民として、日本が起こした戦争の教訓を思い起こすだけではなく、いまも不条理な紛争が続く世界の姿を我がこととして考えることが、一人ひとりに求められています。

 

● もう一つの平和への鍵は「国際連帯」
もう一つの平和への鍵は「国際連帯」です。広島に原爆が投下された8月6日、広島市長はその「平和宣言」において、「私たち市民社会は、自国第一主義に拠ることなく、「連帯」して脅威に立ち向かわなければなりません」とし、「核兵器廃絶と世界恒久平和の実現」を市民社会の総意にすべきであると述べました。

 

そして「30年前に制定されたNPT (核兵器不拡散条約)と、3年前に成立した核兵器禁止条約は、ともに核兵器廃絶に不可欠な条約であり、次世代に確実に「継続」すべき枠組みである」としました。

 

3年前に採択された核兵器禁止条約は、「核兵器は非人道的であり、二度と使わせてはならない。その唯一の道は、国際法で違法な存在と位置づけることだ」とする認識があります。これは確かに核抑止論の対極に立つ考え方です。

 

幸い、批准国も着実に増え、早ければ年内あるいは来年早々の発効が視野に入るところまで来ました。
仮に、発効後、加盟国が核攻撃の危険にさらされれば、核保有国は国際法違反のそしりを免れず、安全保障上、大きな意味を持つことになります。

 

まさに、広島・長崎の被爆者が長年訴えてきた核兵器の違法化が現実になろうとしているのです。

 

日本政府は、日米安保条約で米国の核による拡大抑止、いわゆる「核の傘」の下にいることを理由に、条約に背を向けています。
しかし、唯一の戦争被爆国・日本が加われば、条約の意義と存在感は格段に高まります。

 

日本は同条約の締約国となって、核兵器廃絶の旗を高く掲げ、「核兵器のない世界」の実現に向けて邁進すべきではないでしょうか。

 

そして二度とこのような惨禍を起こさぬよう、戦争の悲惨さや幾多の尊い犠牲があったことを胸に刻み、恒久平和の実現に向け引き続き活動をしてまいりたいと思います。

 

2020年8月15日
衆議院議員 篠原 豪