【ご挨拶】「活力の循環型社会」を目指して

横浜市政

【はじめに】

この度の東北関東大震災で犠牲になられた方々に謹んで哀悼の意を捧げますとともに、被災された方々に心より、お見舞いを申し上げます。

このホームページをご覧の皆さまに、私、しのはら豪がこれからの社会をどう見ているのか、何がやりたいのかを、一部でありますが、ご紹介させていただくことで、ご挨拶と変えさせていただきたく存じます。

長文ですが、ぜひお付き合い頂ければ幸いに存じます。これまでご指導いただきました金沢区はじめ、市民の多くの方々に、お礼を申し上げます。

Lets Go YOKOHAMA!, Lets Go TOHOKU!!,  Lets go NIPPON!!!

しのはら豪


【ごあいさつ】


今、わが国、日本と日本人が求めるのは、地方・国に共通した「理念ある21世紀新 しい日本の国づくり」であり、その観点から大きく国づくりをいかに考え、どう成功へと導く道筋を 示すことができるのかといった話である。

この意味において、国政、地方政治という行政上の枠組み が現状では確かに明確に分けられているとしても、最終的に目指す方向性とは、明治以降続く中央集権 型のシステムが生みだした弊害ある現在の国のカタチからいかに抜け出し、21世紀の新たな日本の国 づくりを成功させるのかという共通の課題に立って考えるべきものである。

したがって、目指すゴールへの道筋は、単に上(国)から見るのか、下(地方)から見るのかといっ た、誰もが想像できるような単純な方法と手段で安易に解決できる程度の簡単なものでは既に無く、 何よりも第一に、我々日本と日本人はどういう「理念」を掲げてこの国造りを行っていくのかという ことを、「国民」「市民」に対して、「政治家」が明確に記述して伝えていくことが極めて重要である。

そうでなければバブル経済の崩壊以降、21世紀に入って今日まで国民がまざまざと延々見せ続けら れている政治の劣化を、いかにして止め、いかにして転換を図るかという、新たな国造りの将来像は、 いつまでたっても国民に見えないままである。

このためには、まずは「断末魔の官僚政治」、「嘘つきと無責任の政治」の打倒から始めなければ いけない。同時にそれが「なぜ必要なのか」という理由を、歴史軸と空間軸の両面 から日本の姿を今一度「国民」「市民」に分かりやすく示し、その上でなぜ政治を国民の手に取り戻すことの重要 なのかを説くことこそが求められる。

そこで篠原豪は、この国造りに関わる「共通の理念」を記述する。理念とは、国政、都市部、準都市部、準農村部、農村部という従来の自治体評価の枠組みにおいて、それぞれに取るべき方策は「多元的」であり「論争的」であることは十分承知した上で、「共通の理念」を例えば簡単に考えればどうなるか、「経済成長・生活重視」「地域主権・脱官僚」という観点から考えられるアジェンダを、ひとつずつ簡素に取り上げる。


《理念》

●国民の責任、政治の責任

日本は今、歴史的に見れば幕末維新時代以来の大転換機に入ったとの共通認識が生まれてはいるが、大転換とは、それまでの社会システムだとか価値観を、一旦はすべて崩壊させるのだから日本も今 は大変な時代である。しかし、こういう時代は同時にパラダイムシフトが起きて、新しい価値観が生ま れ、新しい国づくり、新しい社会作りを行うチャンスでもあることを忘れてはならない。

大袈裟でなくこれまでの宇宙万物から地球の誕生有史以来の歴史を見れば、人類は数多の危機を乗り越え、困難を克服し続けてきた。この度の東北関東大震災に対しても、同様である。

こういった観点が日本国民の共通認識にさえなれば、いつまでも悲嘆に暮れるば かりでなく、いち早く自分(国民・市民)らの手によって、市民自らが主体となって新しい、街づくり、国づくりへの運動を描くことができるのである。そして政治家の責任は、「国民・市民の生命と財産を徹底的に守る」ことが基本中の基本であり、このことを常に肝に命じた上で、その条件を率先して整えることが求められる。

この運動への市民の参加は義務でもあり、これを後押しする努力を政治が怠った場合には、いつまで たっても古いパラダイム、今の極めて厳しい状況からなかなか抜け出せない。ちなみにこの運動は、換言すれば「脱中央集権」・「脱官僚」、「地域主権」という運動でもある。

しかしながら、そうは言っても、この国が経済的に豊になる過程において、一般市民の政治への関心は下がり切って しまい政治は遠い存在となって久しい。ましてや、この度の大災害が政治によるところがあるならば、これは今こそ、国民・市民は立ち上がる時である。

だからこそ政治の側が今一度、「国造りの本質」は「国民と政治の協同責任」であることを声を大にして訴えねばならない。具体的にまず重要なことは、国民に今どうしてこの国の政治と経済がこうなったのかの原因を、きちんと訴えることである。そこで、まずは、今の政治の劣化、経済の疲弊の状況が、なぜ生まれたのかを振り返る。

●戦後経済の崩壊の原点とその後の要点



(この段落は、私がこれまで我が師である岸井成格先生、高野孟先生らに教わってきたのことも含めて記述する。)


日本が今のようになった原点は、大きく見れば1989年に戦後世界秩序を作ってきた東西冷戦構造が 崩壊したことによる。アジア地域における資本主義・自由主義・民主主義の唯一の西側陣営という立 場が生んだ高度経済成長と、それによりもたらされた経済的恩恵の構造が終わった年であり、本当の 意味でのバブル経済崩壊元年でもある。

これを政治の側で支えてきた自民党政権と、一対の官僚内閣制もまた存在意義が無くなったのは、 本来ならこの時だった(副次的な要素に日米貿易摩擦、プラザ合意、消費税3%導入などがあるが、こ の説明は別の機会に譲る)。

そこから4年たってようやく93年に野党が政権を取り、保守・革新の時代は終焉を向かえたが、55年体制最後の宮沢喜一総理が当時、「正体がよくわからいんだけれども、世界 の底流で大きな異変がおきているような気がする」と言った言葉が象徴的だったという話を聞いたことがある。

その後、五里霧中の政治状況の中へ飛び込み、これが根本的には世界の構造転換によるものだと気付くまで20年、これが「失われた20年」である。
さて、これだけ大きな世界の構造も、日本の基本構造も、経済の構造も全部壊れていくというのは、何なのだろうか。


歴史に学べば、大きな歴史の転換点にはまず、最初に必ず起きるのが 崩壊現象である。いろんなことが起きて、結局それが崩壊現象で潰れていく。明治維新で言えば、侍社会、封建制度であるし、そのことを表した象徴的な言葉が、幕閣に呼ばれた霞ヶ関課長補佐みたいな立場だった勝海舟の「この国はいつから人がいなくなったのか」という言葉である。

そして、まさに今また、こういう時代に日本が入ったのではないか。人がいなくなり、権力・権威が崩壊する。こういったことも含めて、政権交代も時代の要請であることを、国民全員で認識 することが極めて大切である。今の状況で言えば崩壊する権威・権力の象徴とは何か?  それは官僚の出世から退官後の身分保障までという流れが生んだ、歪んだ政官関係の癒着の構造と、そこから生まれた肥大化した官僚機構である。

だからこの部分の構造改革は絶対必要条件だが、長く見れば明治1世紀以上、短く見積もっても55 年体制以降の構造と、政財官民すべての意識を根本から変えるということだから、政治と政治家はそ の中心で相応に肝を据えなければならない。

そして国民に対しても、これまでの成功体験を捨てることを求めることの大変さと同時に、それでも何れは延命措置は効かなくなるのだということを伝え、転換への参加を説得できるだけの政治力が、政党にも政治家個人にも求められる時代であることを、絶対に忘れてはならないのこである。(段落終わり)

●目指すべき方向性

今、日本は労働人口のうち年収200万円以下が1,000万人、300万円以下が1840万人、段階世代以上 では年金・医療・介護の崩壊を目の当たりに、何よりも深刻なのは20代~30代がやる気を無くし内向 きになり、社会との関わり合いを持ちたがらないことである。

IMFによれば需給ギャップは約40兆 円、スイスIMDの10年世界競争力年間の総合順位では、日本は58カ国中で27位(前年17位)、ずっと 世界2位だったGDPも今年中国に抜かれた一方で、少子高齢化は歯止めがかからず、人口減少問題では 県が毎年1つずつ消えていくような状況を目前に、今の民主党政治からは、問題を打破する気概も腹 づもりも見えない。

本来ならこの瞬間に、中・長期戦略を個別バラバラのミクロ経済政策ではなく、どうマクロでグラ ンドデザインし、21世紀日本の道のりを明確なビジョンと具体的な手段を示さなければいけない。

 例えば、世界で覇権争いが起きているスマートグリッドひとつとってみても、米国エネルギー長官ス ティーブン・チュー氏が言うように「普及に必要なのは技術ではなく政策と標準化」と言う時代である。

ところが、日本はこれまで優れた技術力を持ちながら、その活用や全体設計への関与、標準化の策 定となると存在感が薄かった。これでは日本からアジアへと覇権の移った半導体パネル(液晶テレビ)のような経験をまた繰り返す。


現にあらゆる国際競争の分野で日本は負け初めていて、例えば原発受注競争においても09年12月に ドバイでは韓国に、10年2月にはベトナムでロシア国営企業、ロスアトムに負けた。韓国は大統領が直 接ドバイの皇太子に何度も電話でセールスをし、ロシアに至っては原子力潜水艦といった軍事技術まで をパッケージにして売る時代である。

それだけでなくこういう時代だからこそ、例えば韓国にFTA、 EPAなどの国際競争力で負けるのであれば、彼らの良いところがあればそれを日本も積極的に取り込ん で、教育方法も含めて世界へと打って出る努力を今すぐやらねば先はない。

そして高度人材を育成し、科学技術優位性の絶対確保を戦略的に確立する。 極端な話、トヨタは クルマを捨て家を作り、それを世界中に理念とともに売って、これからの人類はこういう生活をするん だというモデルを政府の後ろ盾で示す。 そのための個別モデル特区を、地方自治体内といった単位で 新設することが重要である。横浜市はこれを目指せばいいのである。


そして裾野の広がりを見せる世界的な成長産業においては、NEDOプロジェクトのような「オール ジャパン」体制で、標準化を目指す戦いをどんどん推し進め、勝利獲得のために日本技術の粋を集め、 資金を集中投下する。つまり、産業構造の大転換こそ我々日本の道であることを明示する。 政治の役 割はあくまでも民間と国民の活力重視の補助者であるから、霞ヶ関のように民間の足を引っ張っては 絶対にいけない。

このことを地域が主体となって進めることで20代~30代の若者も外向きになれるし、全体に活力を 循環成長させ、その結果、新たな産業、価値観が生まれるのである。


21世紀の日本と日本人は、アジア域内はもちろん、21世紀日本が宇宙船地球号でどう活躍していく のか、そして世界全体から求められる日本の国の姿とは何なのか、このことを国民の皆さんとがっちり とタッグを組んで、あらゆる手段と国内の旧体制派を完全にうち破り、21世紀新世界を作っていく覚 悟の集団となることが、今、我々に求められている。


そのために、しのはら豪が掲げる21世紀日本の目指すべき共通の理念が『「活力の循環型社会」モデル』であることを、ここに宣言する。

———-《具体策》——–


【生活重視・地域主権】


地域主権とは、『「活力の循環型社会」モデル』をいかに地域で作り上げるかである。これを具体 的に推し進める説得力と行動力あることこそ地方議員に求められる能力だろう。

そもそも「活力の循 環型社会」とは、家庭菜園でナス・トマトを作るといったような話ではなく「人間の活力」の問題である。実際に周りを見渡せば、60歳を過ぎて週に2~3日でもご近所でお役に立てて、数千円の小遣いでも貰えれば十分満足という方々が大勢いる。若者が主体となって地域を元気にする動きもある。
つまり「人間の活力」をフル活用できる仕組みづくりなのである。


例えば教育で言えば、ここ数年、よく杉並区の和田中学や千葉県の秋津小学校モデルのようなもの がよく取り上げられるが、これは序の口に過ぎない。

第一次産業に従事する方々についてはもちろん、 その他分野でも地域・市民団体に期待するところは大きく、公共サービスは住民参加型の原理を取り入れてゆく。その意味では基礎自治体よりさらに身近であるNPOの役割は肝要である。住民が自分達で助け合う仕組みづくり、共に助け合う仕組みづくりである。


困難な分野については道州政府が、それ以外の大枠は日本政府が担当すればいい。この権限付与を財源まできちんと棲み分けし、うまくそれぞれが明るく元気に活力を持って循環できる仕組み作りを進めることが何よりも肝要である。

とどのつまり、地域主権とは地域のために自分ができることは何かを考え、その参加の場所を見 つけ、そこで自分は何を一緒にやればいいのかを、地域住民が主体となって違いに助け合うという、自助、共助のシステム作りをいかに「人間の活力」を生み出しなが作るということである。その最初の 一歩は普段暮らしの中にいくらでもあるのである。

ただし、地域資源(リソース)の動員による格差問題が顕在化すれば、地域間ナショナリズムに直結する可能性が高いこことを忘れてはいけない。

とくに現状は“大震災の被災地”と、普段の生活の多くを被災地に依存していた“それ以外の地域”という関係が日本社会にある。この地域間で“持てる地域”と“持てない地域”が出ている現状で、どう再分配をするのか、するならばどういう基準でどう行うのかという、より高度レベルの議論を要するが、最初の段階の自治体議員の基本的役割においては、当該自治体内で行政チェックと合わせて、「国民・市民の生命・財産」が損なわれている地域に対しては、自分達の持っている資源活用を、いかに被災地に対して最大化できるかという能力が問われている。

そして例えばみんなの党の横浜市会ならば、「地域主権YOKOHAMAモデル」事業を確立し、日 本全国への地域主権のお手本モデルとして、日本全国への地域主権の21世紀のカタチを率先して示して いくことを、被災地のことをきちんと考えた上で、理念を掲げてやるべきである。

【生活再建・経済成長】

『「活力の循環型社会」モデル』は、単に生活重視、地域主権ということに留まらず、21世紀日本の 歩むべき経済成長への共通理念でもあると考えている。

例えば横浜市金沢区ならば海もあるし山もある。鉄道も高速道路もいくらでも通っているし、地域ブランド力もある。環境は最高であり開国の地であり、そもそも21世紀が求める文化力を合わせた「ソフトパワー」や「スマートパワー」へと通ずる文化力も技術力も大変高い都市である。

それならば、域内に日本の超最先端技術の粋を集めて、ゼロエミッションどころではない屋上で自 給自足すら十分出来るだけの循環型の家を作り、そのための町づくりが比較的容易に行えるという優 位性がある。

「田圃や畑は、草取りが大変だ」という声が 出てくるのは、腰を曲げる必要があるからで、それならば発想を逆転してプランターを上下可動式の屋上田園、菜園を作れば解決できるし、そもそも農作物の作り方がわからないのであれば、最初のうちは農家の方々に年 間5000円契約などで、指導をしてもらえばいい。

そうなれば今の一次産業に携わるような人々そのものがソフト化し、サービス産業になる。成長産業へと繋げることで、農家の方々の活力の循環型社会も自然と生まれることになる。

仮にそのための建物の値段が4倍になったとしても、建物そのものが完全資産になるわけだから、 ローンも今まで最長35年(今の不動産は35年も経てば資産じゃなくなることの証がこの数字に表れて いる)という概念を覆して銀行が十分200年ローンを組めるようになるまで、付加価値を付けてやればいい。

初めてこの話を聞けば、「出来そうもない」と言われるかもしれないが、日本と日本人、ひいては世界中の人々がここに求めるものは多く、『「活力の循環型社会」モデル』の理念の意味を正確に理解していただければ、実現はそれほど難しいことではない。まずは、何よりもやってみることが大事である。

そして関連する民間企業・研究所などが、もし『「活力の循環型社会」モデル』へと「集中と選択」で戦略を切り替えて、こういうことが本当にできると分かったら、そこに働く方々の士気は本当に高まり「人間の活力」が循環し始める。そうなれば何よりも企業に最高の状態が生まれる。

こういった第三次産業革命と言われる時代にあるからこそ、こういう大胆なことを政治が民間を主導しなければ始まらないし、例えば日産もパナソニックもトヨタホームもNECも中小零細企業の超先端技術屋さんも、このモデル事業特区に参加して『「活力の循環型社会」モデル』という共通の理念の下で、横浜市から始めて頂くことはできないだろうかと考えている。

そしてこのモデルが成功し、全世界へ輸出していくことができれば、自ずと21世紀日本の経済成長が見えてくるのだろうと考えている。

まずはエネルギーコスト「0」住宅と未来都市構想を支える技術を、未だにハイブリッドか電気自動車か、はたまた水素自動車か、太陽光パネルだという段階で停滞している議論は残念でしかないし、そうなるのは理念なきトップ(リーダー)が、新時代の到来に、すでについていけていない証だと考えている。「スマートグリッド」などの単体の議論は、この理念のもと日本が21世紀を生きていくためのごく一部のハードとソフトにすぎないのである。

こういった古い時代のアタマが今、政治の世界でも、日本を動かしつづけていることは嘆かわしい。だ

からこそ、今まさに我われ若者が先達のお知恵とご経験をお借りして、先頭に立って、次世代の子供たちへの責任を担って命がけで闘っていかなければいけない。

我々は、この度の大震災という、戦後最大の危機を乗り越え復興することはもちろん、その先には21 世紀宇宙船地球号のGDP全てを、日本の内需へと取り込んでいくことも、決して夢ではない時代である。

見方を変えれば、新時代の到来を、悲嘆にくれるのではなく、希望とともに切り開いて歩み続けていくことが政治家の役割だと考えている。そのために、皆さまにお育てください。粉骨砕身、全力で頑張らせていただきます。


2011年3月31日
篠原 豪(しのはら・ごう)