防衛研究所第69期一般課程における講義の概要(6月13日)

国会・国政

 防衛研究所では、毎年、幹部自衛官を対象とした教育を実施していますが、私は、一昨年に続き今年も依頼を受け、6月13日(月)に、安全保障論について約2時間の講義を行いました。

 

 

 第1章では、憲法9条1項が「法の支配に基づく国際秩序」の実現を目指した国際連盟の創設以降の新しい国際法を踏まえたもので、特に、不戦条約によって戦争が違法化された後は、違反国を取り締まる制裁権のみが唯一許された正当な実力行使であって、集団的及び個別的自衛権もその根拠は、制裁権にあることを説明しつつ、実際、米国に代表される連合国の参戦は、この制裁権を発動したものであることを公言しているので、まさに集団的自衛権の発動であったと評価できることを説明しました。 

 

 第2章では、憲法9条2項は、独立後の日本も制裁権を持つものの、その手段である戦力を持つことを自ら禁止する内容であることを確認しつつ、他方で、戦力の不保持は、憲法前文の国連を意味する平和愛好国の集団安全保障体制を前提としたものであることを述べました。

 

 そして、第3章では、冷戦によって国連が機能不全になった以上、それを補完するため、当時の吉田政権は、米軍の本土常駐体制を選択したわけですが、しかし、それにとどまらず、朝鮮戦争の勃発によって、日本防衛任務が移管された結果、戦力に当たらない自衛隊が実力を行使する憲法論理として、カロライン号事件における今日的には「緊急避難」に近い自衛権概念が援用され、そのためにウェブスターフォーミュラを手本とした自衛権行使の三要件の論理が確立したことを説明しました。

 

 そこで、歴史的に、そもそも自衛権行使の三要件は、一体のものとして個別的自衛権の行使を正当化するための論理であったにもかかわらす、1972年10月の政府見解は、その中の「必要最小限度」だけを根拠に集団的自衛権行使が憲法上許されないとしているので、論理的的に誤っていることを指摘しておきました。

 

 ですから、「必要最小限度」は本来、自衛隊による個別的自衛権の行使が限定的であることを意味する概念であって、具体的には、海外派兵の禁止、攻撃的兵器の不保持、指揮権の独立等を意味することを指摘しました。

 

 

 そして、1970年代に、憲法による一定の制約を受けた個別的自衛権の行使を体現する概念として「専守防衛」が定着し、同時に、日本有事において自衛隊が防勢作戦を担い、米軍が攻勢作戦を担うという日米の役割分担が確定したわけですが、この両者は一体のものであり、立憲民主党の安全保障論もそれを踏まえたものであることを述べました。

 

 

 

 第4章では、日本有事とは無関係の自衛隊の海外派遣と取り上げ、個別的自衛権行使でさえ憲法的な制約を受けている中で、自衛隊の武力行使が許されるわけもなく、むしろ、米軍等の武力行使と一体化するような活動はできないこと、また、それを保証するために指揮権の独立が要件となることを指摘しました。

 

 

 最後の第5章では、敵基地攻撃論を取り上げ、憲法論として先制自衛の手段として敵地攻撃を容認する解釈があるものの、専守防衛と日米の役割分担が基本である以上、敵地攻撃を最大限回避するのが基本であり、我が国のスタンドオフミサイルによる攻撃も公海上の海上アセットに留めるのが原則であると考える旨述べました。

 

 講義後、会場から質問を受けましたが、やはり、軍事的な合理性から見ると憲法的制約の議論が理解し難いと言うニュアンスの発言が多かったように感じました。

 

 

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まっとうな政治。正々堂々と!
衆議院議員 しのはら豪(立憲民主党、神奈川1区)

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