「安全保障委員会」質疑報告(11月13日)
11月13日、午前中は一旦地元に戻り、午後は会派全議員対象の基本的政策の議論に参加した後、13時30分からの安全保障委員会に登壇、質疑をさせていただきました。
以下、その内容をご報告いたします。
●敵基地攻撃の問題
岸防衛大臣は、10日の所信演説の中で、「抑止力の強化」に言及しつつ、「(安倍前総理による)9月11日の『内閣総理大臣の談話』を踏まえてしっかりと議論を進め、あるべき方策を取りまとめていく」と述べられました。
これは、従来「敵基地攻撃能力」に関する議論と言われてきたもので、まず、それについて議論させていただきました。
9月11日の安倍談話には
「迎撃能力を向上させるだけで本当に国民の命と平和な暮らしを守り抜くことが出来るのか。そういった問題意識の下、抑止力を強化するため、ミサイル阻止に関する安全保障政策の新たな方針を検討してまいりました。」とあります。さらに、
「この検討は、憲法の範囲内において、国際法を遵守しつつ、行われているものであり、専守防衛の考え方については、いささかの変更もありません。」とも述べられています。
今回の敵基地攻撃論の特徴は、従来、使われてきた「敵基地攻撃」あるいは「策源地攻撃」という言葉を避けて、単に「抑止力」と言ったり、あるいは、8月4日に自民党政務調査会が提言した「国民を守るための抑止力向上に関する提言」のように、「相手領域内でも弾道ミサイル等を阻止する能力の保有」と言い換えられていることです。
そして、そこにも同じく、「憲法の範囲内で、国際法を遵守しつつ、専守防衛の考え方の下」で「抑止力を向上させるための新たな取組」であると述べられています。
「敵基地攻撃」と言えば、憲法が禁じる「海外派兵」あるいは「他国領域内での武力行使」を連想させ、国際法が禁じる「先制攻撃」ではないかと言われかねないので、それを避けたいのだろうと思います。
しかし、敵基地攻撃能力の保有が「憲法の範囲内で、国際法を遵守しつつ、専守防衛の考え方」に全く抵触しないのだと言われても容易には納得できません。
これまでの理解を超える主張が広がっています。
●他国領域内での武力行使は違憲
我が国の憲法が「平和憲法」と呼ばれる所以は、その根拠となる原理原則の中で一番大切だと考えているのが、先の大戦の反省を踏まえて、憲法が「海外派兵」を禁じているとしていることです。
例えば、1981年10月3日に大村襄治防衛庁長官が、我が国の自衛権行使の地理的範囲について、「わが国を防衛するため必要最小限度の実力を行使することのできる地理的範囲は、必ずしもわが国の領土、領海、領空に限るものでない」が「他国の領海までを含むものではないということは明白」と答弁しています。
さらに1980年10月28日の稲葉誠一衆議院議員質問主意書に対する答弁書では、「従来、『いわゆる海外派兵とは、一般的にいえば、武力行使の目的をもって武装した部隊を他国の領土、領海、領空に派遣することである』と定義づけて説明されているが、このような海外派兵は、一般に自衛のための必要最小限度を超えるものであって、憲法上許されないと考えている。」と述べています。
そこでまず、以上の政府答弁は、菅政権においても、未だに有効であると考えているのか否か、質問しました。
答弁は「今日も有効」との内容でした。それを再確認できたことをまずはお伝えいたします。
●専守防衛は「懲罰的抑止」の否定
これまでのこの政府見解を受けて、自衛権行使だけでなく、国連軍等の「集団安全保障」においても、自衛隊が他国領域内で武力行使を行うことは憲法上、出来ないと解釈されてきています。
実は、そうした考えの上に、1970年10月の『防衛白書』において、「専守防衛」が我が国の基本方針であると初めて明記されたわけです。
そこには、「専守防衛の防衛力は・・・戦略守勢に徹し、わが国の独立と平和を守るためのものである。」とあります。
しかし、この戦略守勢に徹することは、抑止力にならないと、痛烈に批判したのが、当時の統合幕僚会議議長・栗栖弘臣(くりす・ひろおみ)陸将でした。
彼は「防御手段のみを以ては、わが行動圏外から威力を発揮する攻撃行動には有効に対処しえない。基地や策源がやられるかも知れぬという心理的拘束を相手に与えない武器は、先方の攻撃企図を未然に防止する効果に乏しいものといわねばなるまい。専守防衛と抑止力保持は併存し難い概念である」(1978年1月、航空専門紙『ウィング』)と述べています。
つまり、抑止力とは「攻撃こそ最大の防御」であることを認めることであって、戦略守勢に徹していては、抑止力にならないと批判しているのです。
もちろん、栗栖陸将が述べている「抑止力」とは、正確には、「拒否的抑止力」ではなく、「懲罰的抑止力」だと考えますが、この戦略的守勢に徹するということは、論理的に、「懲罰的抑止」を行わないことであるか、を確認させていただきました。
「専守防衛」とは、「戦略守勢」の徹底であって、「拒否的抑止」とは共通の意味があっても、その反対概念である「懲罰的抑止」まで含んだ概念とはとても言い難い。
それは、「攻撃こそ最大の防御」とする論理がなければ説明出来ないもので、そうであれば、言葉の論理を超えた「言葉あそび」の世界でしか通じない論理で、議論としては破綻しているという意味で議論させていただきました。
●「着手事態」においてミサイル攻撃を阻止することはほぼ不可能
1956年2月29日に船田防衛庁長官が
「わが国に対して急迫不正の侵害が行われ、その侵害の手段としてわが国土に対し、誘導弾等による攻撃が行われた場合、座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨とするところだというふうには、どうしても考えられないと思うのです。
そういう場合には、そのような攻撃を防ぐのにやむを得ない必要最小限度の措置をとること、たとえば誘導弾等による攻撃を防御するのに、他に手段がないと認められる限り、誘導弾等の基地をたたくことは、法理的には自衛の範囲に含まれ、可能であるというべきものと思います。」
と答弁していることをもって、ミサイル防衛という限られた場合には、他国領域内への攻撃が例外的に、憲法上可能であるとされてきました。
しかし、この敵基地攻撃が国際法上禁じられている「先制攻撃」に当たらないためには、「着手事態」である必要があるとされています。
その「着手事態」について、1970年3月18日の高辻内閣法制局長官は
「まず武力攻撃のおそれがあると推量される時期ではない。そういう場合に攻撃することを通常先制攻撃という …武力攻撃が……始まったときがいつであるかというのは,諸般の事情による認定の問題になる …武力攻撃が発生したというときに、これは着手が入るんだ・・…・準備が入らぬというのは,これはあたりまえのことでして,準備の場合にはまだ着手とはいえません」
と答弁しています。
従って「着手事態」とは、弾道ミサイルが発射される直前・直後の極めて切迫した時間帯と考えられますが、こうした時に攻撃することは物理的に可能でしょうか。
かつてと違い今では、常に移動が可能で位置を特定するのがきわめて難しい移動式ランチャーや、潜水艦からミサイルが発射されます。
さらに、液体燃料ではなく固体燃料になっているので、ランチャーに固定されている時間も極めて限られています。
これでは、ランチャーや潜水艦、又はブースト段階のミサイルを破壊することは、実際上、不可能ではないでしょうか。
こうした攻撃は現実的かどうか、政府の認識を問いました。
●相手国に対する報復攻撃は違憲
国際法上、先制攻撃とならないで、ランチャーや潜水艦、又はブースト段階のミサイルを破壊することが実際上不可能ということになると、抑止力を強化する手段としては、すでに我が国が攻撃を受けて、憲法に基づく自衛権が発動された後、相手国に報復攻撃する能力を持つことだと考えるのが軍事的な常識です。
しかし、こうした報復攻撃は、他国領域で武力行使を行うことであって、正に憲法で禁じられた行為です。
なぜなら、敵基地攻撃が例外的に合憲であるのは、ミサイル攻撃を阻止する手段が他になく、その意味で必要最小限度の実力行使と言えるためです。
報復攻撃は、破壊によって相手国に対し反抗心を萎縮させる効果を狙うもので、とても必要最小限度とは言えないからです。
政府は、こうした攻撃が憲法上できると判断しているのでしょうか。
仮に、合憲と判断しているのであれば、報復攻撃能力は、あくまで「抑止力」として機能するもので、その抑止力によって、ミサイル攻撃を阻止することを狙っているので、必要最小限度といえ、合憲である、との理屈が想定されますが、「抑止力」として機能するためには、実際に使える能力でなければそうした機能は発揮されないので、その意味で必要最小限度と言えず、その場合には論理破綻していると考えます。
●「日米同盟」下に敵基地攻撃能力は憲法上、持てない
敵基地攻撃が可能とした1956年2月29日の船田防衛庁長官答弁ですが、「誘導弾等による攻撃を防御するのに、他に手段がないと認められる限り、誘導弾等の基地をたたくことは、法理的には自衛の範囲に含まれ、可能である」としています。
それについて、2003年1月24日の石破大臣は、我が国は、日米同盟により、敵基地反撃能力を米軍に依存し、自衛隊は「専守防衛」に徹することを基本方針としてきたので、敵基地攻撃能力は保有しないとの答弁をしています。
つまり、敵基地攻撃能力を保有するには、米国の信頼性に疑問があって、頼りにできないことが憲法上の要件であると考えます。
従って、米軍の敵基地攻撃に協力する目的で、能力を保有するのは、正に、集団的自衛権の発動そのものであって、憲法の精神に反することであるほか、これも抑止力は、実際に使えるものでないと意味をなさないので、その意味で必要最小限度と言えず、論理破綻しています。
●中国との戦略的互恵関係
11月10日の茂木大臣の所信演説には、中国との「戦略的互恵関係」についての言及が全くありませんでした。
日本は米国の同盟国ですが、中国とも深い関係にあります。
経済関係では、2019年の対中輸出は1347億ドル、対中輸入は1962億ドルに上り、中国は最大の貿易相手国になっています。日系企業の海外拠点数でも3万3050拠点で第1位となっています。
さらに、2019年の訪日観光客も約959万人と第1位で、中国無くしては、もはや日本経済は成り立ちません。
つまり、米中の覇権争いが激化している状況下において、ただ米国に追随するだけでは、我が国の国益は確保されません。
日中の外交関係では、①日中が国交正常化した1972年の共同声明、②1978年の日中平和友好条約
、③1998年の江沢民家主席来日時の共同宣言、④2008年の胡錦濤国家来日時の共同声明、が「四つの基本文書」とされ、「戦略的互恵関係」については、第4番目の基本文書である2008年の日中共同声明において、包括的に推進し、同時に、歴史を直視して、未来志向の関係を築いていくことを決意した旨が明記されています。
この記述は、我が国の外交的な成果と評価されており、私は、あらゆる機会を通じて、それを確認していくことが必要だと考えます。
そうした観点から、米中関係の悪化が直ちに日中関係に及ばないようにするため、中国の開発構想「一帯一路」と、日本のアジア支援とが補完しあうには、どのような調整が必要とされるのか、あるいは、日米の「自由で開かれたインド太平洋」構想との衝突を避けるための信頼醸成措置は何が可能かを交渉のテーブルに載せる努力も必要ではないか、といった議論も外務大臣とさせていただきました。
私は両国の合意事項から交渉をスタートさせることが非常に大切なことではないか、と考えています。
たとえば、現在、中国が沖縄・尖閣諸島周辺海域で公船による領海侵入などを繰り返していることについても、1978年の日中平和友好条約の第1条で「相互の関係において、すべての紛争を平和的手段により解決し及び武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する」と明記していることを指摘しつつ、これまでの合意に反することを粘り強く主張していくことで初めて、交渉のステージに移るのではないかと思います。
今回の質疑報告は以上となります。
引き続きしっかりとした議論を行ってまいりますので、ご注目いただければ幸いです。
全議員勉強会(会派)