東日本大震災から10年の節目に際して

国会・国政,神奈川1区(中区・磯子区・金沢区)

 

東日本大震災から10年を迎えました。
本日は天皇皇后両陛下ご臨席のもと、東京の国立劇場で開かれた政府主催の「東日本大震災十周年追悼式」に出席し、2時46分から黙祷、献花してまいりました。

 

地元横浜での地震のひどい揺れ。あの瞬間、歩道にいた私は、目の前の家の瓦が屋根から道路に崩れ落ちるのを見ながら、何が起きているか、これまでに経験した事の無い長い揺れの時間とともに恐怖を覚えました。

 

その後、たまたま移動で使っていた街宣車を、その場から数分の距離にある京浜急行の駅前へと動かすと、電車は停電し止まっていました。
他の交通手段も麻痺していたため、時間とともに帰宅困難でどんどんと集まる皆さんからの希望で、街宣車のスピーカーでラジオを流し、状況を伝えることにしました。

 

夜寒くなってもなかなか復帰しなかった電力ですが、午後10時過ぎの回復時まで、街宣車の屋上ライトで周囲を照らし、スピーカーから聞こえるラジオからは、岩手、宮城、福島の沿岸で巨大な津波が海辺の街を飲み込み、家や車が押し流され、人々が逃げ惑う情景が流れ、次々に起きる大規模な火災の様子がとても現実とは思えなかったことを鮮明に覚えています。
ここに改めて、震災で亡くなられた方々へ哀悼の誠を捧げます。

 

それから10年を経て、東北三県の津波被災地で進められてきたインフラ整備はほぼ終わったとされています。
しかし、多くの被災地で、住民が避難先から戻らず、造成地に空き地が広がり、震災前から問題となっていた人口減と高齢化が災害で加速したことを忘れてはいけません。
一刻も早く生活を再建したい被災者の意向と、単なる復旧ではない復興を考えて莫大な国費を投じた国や自治体の意向との齟齬や、その調整の試行錯誤から生じたやむを得ない結果であるとはいえ、世界でも稀な災害大国に暮らす我々は、誰もが避けられない課題として、この教訓を社会全体で共有し、将来につなげていかなければなりません。

 

もちろん、教訓は数え切れないほどあります。その中でも大事なひとつが「事前復興」の考え方だと思います。
普段から地域の結びつきを確かにし、実際に災害が起きたらどう対処するかを、住民と自治体が協力してあらかじめ計画しておくことが大切です。
災害が起こってから合意を得ようとしても、一刻を争う中では結局、徒労に終わります。

 

他方、東京電力福島第一原子力発電所事故が起きた福島県では、まだ約3万6000人の避難者が今も県内外で暮らしています。
廃炉の作業の傍で生じた処理水は、風評被害で、復興途上にある水産加工業に更なる打撃を与えようとしております。
福島の復興にはまだまだ、国の援助が欠かせません。

最後に、「3.11」を決して忘れることなく、復興に取り組む人々を応援し、また、次なる災害に備えて、日々努力することをお約束いたします。

 

2021年3月11日
衆議院議員(神奈川県第1区) 篠原豪