世界遺産調査団が金沢区へ

神奈川1区(中区・磯子区・金沢区)

今日も一日、議会にて政策関連のミーティング。現在残っているのは、伊藤さん、大岩さん、そして私。

伊藤さんの今日のアフターファイブのテーマは大学生の卒論指導。大岩さんの今のテーマは新市庁舎建設の視察先の調整。

私のテーマは世界遺産登録についてです。

世界遺産に推薦されている「武家の古都・鎌倉」の現地調査がいよいよ始まります。日時は9月25〜27日まで。

若宮大路、鶴ヶ丘八幡宮、称名寺、朝比奈切通、荏柄天神社、法華堂跡、名越切通、極楽寺、鎌倉大仏、浄光明寺、寿福寺、円覚寺、建長寺、瑞泉寺、覚園寺、東勝寺跡などが視察先になっているとのことです。

そして、このうちの称名寺、朝比奈切通などは金沢区で、文化あふれる歴史の街です。

候補地のひとつ称名寺にて。


「武家の古都・鎌倉」のキャンペーンページ


世界遺産登録へ向けて、今後のスケジュールは以下となっています。

平成24年9月25〜27日 イコモス(国際記念物遺跡会議)による現地調査

平成25年5月頃 イコモスによる審査結果の公表

平成25年6~7月頃 第37回ユネスコ世界遺産委員会において登録可否の決議


金沢区内の世界遺産登録候補地ついて

「朝夷奈切通」

(鎌倉市十二所・横浜市金沢区朝比奈町)

(概要)朝夷奈切通は、鶴岡八幡宮から東方約2.8㎞の位置に、鎌倉市から横浜市金沢区にまたがって所在し、東の要衝称名寺と鎌倉を結び、防御を重視した政権所在地造営の一環として建設されました。現存する切通路は延長約0.9㎞に及び、路面はそのほぼ全域で斜面を垂直近くに切り下げて造営されており、特に鎌倉・横浜市境の大切通では現状で高さ約18mの人工崖が残され、横浜市側の小切通では高さ約16mの人工崖が残されています。また、切通路の周囲には多数のやぐら、切岸、削平地などの遺構が、旧地形とともに、良好な状態で保存されています。

(歴史)『吾妻鏡』によれば、朝夷奈切通は、1241年に第3代執権北条泰時自らの監督の下に建設されました。江戸時代には、江戸から金沢を経て鎌倉に入る観光ルートとして頻繁に利用され、19世紀前半には大規模な修造工事が加えられました。現在の切通路はこのときに整備された状況をとどめています。


「称名寺」

(横浜市金沢区金沢町212-1)

(概 要)金沢は、鎌倉の外港である六浦を抱え、東京湾を介した交通・軍事上の要衝、すなわち鎌倉の東の要衝であり、そこに重要な拠点として営まれた称名寺は、防御を重視した鎌倉幕府の政権所在地の造営の在り方の特徴を示す寺院です。

また、当時の称名寺は仏教教学の研究がとりわけ盛んに行われ、「金沢学校」とも呼ばれた日本における中世の大学でした。さらに、1275年に、称名寺に設置された「金沢文庫」には、教学研究のために収集された大量の文物が引き継がれています。これらは、中国伝来の美術工芸品、書籍、典籍類を主体としており、武家文化の成立に中国文化が重要な影響を及ぼしたことを示すとともに、武家文化の精華を現在に伝えています。

(歴史)称名寺は、第5代執権北条時頼や第八代執権北条時宗の補佐役として幕府内部で重 きをなした北条実時(1224~1276年)が営んだ持仏堂が始まりで、1267年に寺院としての体裁を整え、鎌倉時代末に実時の孫金沢貞顕(1278~1333年)によって伽藍や庭園が再造営され最盛期を迎えました。その様子を描いた『称名寺絵図並結界記』によれば、境内の中央に浄土池を配し、東西及び北に金堂や講堂他の諸堂が建ち並ぶ大伽藍が形成されていました。

現在の境内は、山門の正面に浄土池を中心とした庭園を配し、その北側に諸伽藍が並んでいます。これらの建物の北方及び浄土池の東西には、講堂他の伽藍が営まれていた平場が展開し、それらの外側は周囲の山稜部へと連続しています。

なお、前述の「金沢文庫」に引き継がれた大量の文物は、現在、境内に隣接する「神奈川県立金沢文庫」において、厳重に保管されるとともに、活発な調査研究及び積極的な公開活用が図られています。

「武家の古都・鎌倉」のキャンペーンページより引用)

Let’s go YOKOHAMA!